科学雑誌を見て、理数科目の勉強をしよう!

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科学技術の進歩と衰退

産業革命後、世界は変革を迎えた

ニュートン、ナショナルジオグラフィックという2つの雑誌に共通しているテーマとして『科学』が挙げられる。これが何を意味しているのかをここで語るのも藪から棒だ、というより今こうして筆者も原稿を作成するためのツールとしてパソコンを用いるので、現代社会の恩恵を余すところなく受けていると述べることが出来る。機械という名の文明が誕生した産業革命後、世界は急速に新時代へと新たな船出を切るように革命を巻き起こしていった。車、蒸気機関車、電気、電話、そしてついには人類がようやく求めていた空への航空をも成し遂げることに成功した。それらの功績こそ産業革命という革新的な産業が誕生したことによるところだ。などとお固く語ってみるが、筆者的に言わせて貰うと便利になってよかった反面、その分人類という種族がもたらす害悪を垣間見ることが出来たと、そんな風に取れると考えている。

悪の権化とも言うべき存在であり、生物にとって本能として備わっている闘争本能に基づく、自分たちこそ優れた存在だと証明するために世界が二分され、そして多くの血と肉塊が飛び散ることになった世界大戦、この歴史を日本を含めた世界における敗戦国としては忌むべき歴史と見ている人もいるだろう。個人的な意見を言わせて貰えば愚かしい事をした日本の贖罪ともいえると分析している。あの戦いをどのように考えているかなどはともかく、銃弾がひしめき合いながら慟哭に満たされた戦場において活躍したものこそ、科学によってもたらされた武器の数々だ。爆撃機、戦車、機関銃、短銃など、それまで当然のように活躍していた刀剣や弓、槍といった近接戦に用いる道具に取って代わって、効率よく人を処理する事の出来る武器が製造されていった。

これも一重に産業革命における功績と見て良いだろう、日本に放たれた原子爆弾も科学技術が進歩したことで開発された。こうしてみると科学というものが人に富をもたらし、そして豊かさを提供してくれる反面、人をまるでゴミのように淘汰する事の出来る兵器をも生み出せるというのを蔑ろにしてはいけない。あの歴史があったからこそ、科学というものがもたらす技術がいかにして便利であり、そしていかに恐ろしいものになるのかを証明されたと考えるべきだ。今の時代に惑わされず、科学というものを正しく認識することも人に課せられた使命なのかもしれない。

影の歴史があるからこそ、教訓となる

世界大戦後、アメリカとソ連が冷戦状態に入る中、日本は敗戦国としてのレッテルを、そしてこのままでは終われないとする気概の元に、世界に通用する主権国家として進歩するためにそれこそ血のにじむような努力を行ってきた。その結果、昭和中期から末期に掛けてとてつもない社会的復興と同時に進化をなしえる事に成功する。諸外国はそうした日本の驚異的な成長力に経緯を評してなのか『東洋の奇跡』とも呼んで、その技術力の高さを評価した。

日本としては光栄なことだ、だがその発展と共に導入した科学技術によって日本がこれまで積み上げてきた文化を破壊するような事態をも巻き起こした。副産物とも言えばいいのか、環境破壊に公害問題、無計画に利益追随だけを欲して乱立させたビル郡、数多に日本が不用意に科学という新たな文化の申し子を迎え入れたため、その結果日本という国を発展の歴史における裏側でじわじわと侵食する諸問題をもたらしてしまったことも、忘れてはならないことである。

ただ人には幸いにも知能が他の生物よりも少しだけ優れていた、これが幸福だった。同じ過ちを犯してはならないとしてこれまで行ってきた業を償うように法律を定め、自然と人工のバランスを考え、命の営みを循環的に回せるようにする技術を確立させていく。その発展もまさに目覚しいもので、科学の世界に何ら縁のない人間でも人間の、自然の、そして地球というあらゆるものの可能性を提示されれば興味は尽きない。こうした知的好奇心の塊ともいえる研究が日々行われ、我々の知らないところで新たに開発されている事案もある。日の目に当たるまでの時間は理論がはっきりと証明されなければ、表舞台に上がることはない。今日もどこかで科学を仕事としている人々の、緻密な研究が継続していると考えたら誇りと尊敬の念を持たなければならない。

情報というスペックも綿密に

科学の発展により人間にもたらされた宝物は何も機械だけではない、機械を用いて調べることにより物事の原理を見出すという学問をも成長させていった。とりわけその中でも発展したのが『生命科学』というものだ、そしていまだこの生命科学が現代まで様々な理論や研究がなされてきたが、それでも分からないことがあるという。人間でも、生き物でも、生物として生きているもの全ての情報を人類が取得できているわけではない。例えば完治不能と言われた病気に冒されながらも、適切な治療を受けずにいたにも関わらず完治した例、といったような奇跡とも言うべき事実が確認されていることを知ると、どうしてそんなことが起きたのかと知りたくなるのが人間だ。

科学の発展により、それまで治すことのできないといわれていた病気の研究が進められ、また食糧事情においても作物を遺伝子レベルから調査することにより、人間が抱え続けていた疑問や問題、そして解決方法までを導くことが出来るようになる。人類は20世紀に入った直後から機械を用いての研究方法が驚くほどに進化しているといえる。これまで知る事の出来なかった情報を簡単に取得できる世の中になり、私達の暮らしはとても便利になった。病気になっても医者に訪れても薬を提供されれば治り、通信技術も国内に留まらず世界規模でタイムラグこそあるも即座に入手することが出来るようになるなど、あらゆる面で科学は人間の暮らしを充実させていった。

しかし昨今の日本では人間という有史が始まってからあまりよろしくない傾向にある、それは人としての知的好奇心が薄れかかっている事態とも言える学ぶこと、特にこうした科学関係の世界に対しての興味関心の喪失、『理数離れ』という問題をここ10数年抱え続けている。