科学雑誌を見て、理数科目の勉強をしよう!

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理数離れという問題

理数というより、学ぶ面白さの喪失に繋がっている?

生きていれば人間は順当に教育機関に通うことになる、その中で社会に必要な情報や今後自分の将来や人格に関わる情報などを取得することもある。教育も一昔前までは限られた人間、しかも資産を持っているものだけが受ける事の出来る特権のようなものだった。それはいまだ世界の中でも発展途上国と呼ばれる、先進国とは打って変わって文明から取り残されたような前時代の文化で形成されている地域では、いまだにまともな教育を受ける事の出来ない人々はごまんといる。それに比べて日本では識字率は常に9割以上をキープしており、中学までの最低義務教育期間を設けているなど、今の時代の子供は恵まれている。偉そうなことを書いているが、筆者もその内の一人だということを念頭に入れて、敬意を表しての言葉だ。

ただそんな中で最近深刻な問題と課しているのが、教育課程の中でも物事の本質を見極める授業と、数字を用いて世界を独特の視点から分析することが出来る学問、科学と密接な関係を持っている理数科目について日本国内ではちょっとした悩みを抱えている。お気づきの方もいるだろう、筆者も学生時代の頃は理科はともかく数学がどうしても理解不能だった経験があるので分かるのだが、若者の『理数離れ』という問題が出てきていることである。それほど問題なのかというと、最近のデータでは日米中韓、4カ国間で自然や科学という理数学問に対して興味関心を抱いているパーセンテージがよろしくないのだ。これは高校生を対象としたデータなのだが、詳しく記すと次のようになっている。

自然科学に対する興味関心度
  • 1位:中国 - 79.3%
  • 2位:米国 - 63.6%
  • 3位:韓国 - 63.1%
  • 4位:日本 - 59.5%

一応念頭に入れておいて欲しい情報としては、日本が先進国というカテゴリーに分類されていることだ。日本人技術者が発見した研究内容も数多く世界で認められている中、次世代を担う者達がこうした先駆者に続く後進として候補となる人間の数、つまり物事の本質を調べる研究について興味がないと答えている学生の数が多いのだ。これが世に言う理数離れに繋がっていることを意味するものだ。つまりこういうことだ。

理数離れとは、理科・数学といった学問に対して興味を持つ事ができず、物事の本質を調べることに対して興味関心を持つ事のない学生達が陥る症状

と筆者は考えている。正直なところ、一般的な定義と言うものは存在しておらず、またどうしてこのような事態を引き起こしているのかも、はっきりと原因を究明できているわけではないというのだ。それもおかしなものだが、つまりどういうことなのだろうとますます疑問を持ってしまう。

筆者は理工学についてはまだしも、一時期は理学系の分野を勉強したいと思っていたこともあるのだが、数学という問題をどうしても解決することができなかったため、個人的な趣味として時々調べる程度に現在は落ち着いている。そのため、興味などがあるという意味では理数離れの人々とは少しベクトルが異なるのかもしれない。

今の日本で何が起こっているのか

この数字が教育の現場で深刻な問題を引き起こしているというわけではなく、むしろ成績と言う面では極端に低下しているわけではないという。これは恐らく現実的な問題として成績はある程度キープしていなければならないという前提があるからだ。高校ともなると一定数値を保っていなければ落第してしまう、といった問題に直面してしまうからだ。中には面倒だから中退してしまえという乱暴な選択肢もあるが、勉強しようと思えば何も教育機関に通わなくても学ぶことは出来る。何が一番問題なのかというと、数学や理科といった理工学、理学といった学問を好ましく捉えることが出来るかどうかという指標に焦点を当てるとこの現象の原因も見えてくるのではないだろうか。

高校までの勉強とは、あくまでその上の教育機関に進学するための情報を在学期間に学ぶというのが日本の教育システムだ。堅苦しいことだが、筆者だけでなく今こうしてこの瞬間を生きている人々全てに共通していることだろう。そうした中、自分たちが学生だったことを思い返してみて、自分が理数科目に対して興味を持っていたかどうかを考えてみたとき、二極化するだろう。ある統計では、やはり理科と数学の好き嫌いかで分けたとき、やはり日本の度合いが問題として見られている。

理科に対して好意的 数学に対して好意的
シンガポール 86% 79%
イギリス 83% 77%
米国 73% 69%
日本 55% 48%
韓国 52% 54%

日本の数値をシンガポールと比べればその差は歴然としている、筆者は内心いつの時代も数学に対して苦手意識を持っている人が多いんだなぁと思ってしまったのは悲しいことなのかもしれない。日本と韓国、この二国は正直この問題を放置するほどあまり軽視することは出来ないだろう。

ではどうしてこうはっきりとした数値で関心度が開ききってしまったのかについて考察してみようと思うが、教育現場においての取り組みが影響しているという。理科という授業は実験をすることにより、発生原理といった根本的な仕組みを調査することを主としている。これは将来的に生命科学などの分野に生かされる技術なのだが、そうした物事の仕組みを根本的に調べることを現場レベルで省略しているという。確かに高校生ともなると実験はほとんどしなくなったと思える、小学生の頃はそれなりに行なっていた記憶もあるが子供ながらに興味関心を持てる教育がされていたかどうかという点については、疑問符を持つ。これがそもそも日本の教がもたらしたマイナス面に繋がっていくのではないかとも、考えられる。

この傾向は大人になってからも継続してしまう

このように理数科目に対しての興味関心が年を取るごとに増えるわけではない、大半の人が成長しても興味がないままだという。とある統計では、2006年頃の記録では日本の成人を対象とした科学技術に対する理解度は、25か国中22位という下から数えたほうが早い順位になっている。これが学生時代から一貫して勉強していない人に繋がっており、どうせ将来的に使わないだろうという考えから自然と遠ざかってしまったと表現するには由々しき問題だ。

そしてこうした大人が科学などの理数について苦手意識を持っていると、後に生まれてくる子供にも学習という場においてその悪影響をもたらしてしまうのだ。つまり、昨今の理数離れは今に始まったわけではなく、理数に対して苦手意識を持っている大人たちによってもたらされた悪循環のループだったということである。