科学雑誌を見て、理数科目の勉強をしよう!

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今後誰のために促進させていくか

子供だけでなく、大人も積極的に

理数離れという問題は日本のみならず、各先進国においても共通している問題となっていると言われているが、一応日本の話に焦点を絞っているので他国についてはそこまで触れないでおく。それでもこの国を脅かしている学習意欲の低下は何とかしなければならない。そうなるとここまでの話を総括してみると、単純に学生だけに勉強を強いるのではなく、社会人として活動している人々においても学ぶ事を忘れないで行い続けていく事が重要だ。社会に出ると仕事を覚えるために勉強をしなければならない場面も出てくるが、それさえも面倒に感じている人がいる事実がある。こうなるともはやどうしようもないかもしれない、それこそ一から勉強に対しての否定的なイメージを根底から改革するところから始めなければならない。企業がそうした時間を取れるのであればした方が良いのはもちろんだが、忙しさという日々の波に飲まれて勉強は自発的に任せるというのでは、当然勉強嫌いを公言している人はしないに決まっている。

生きていれば勉強する機会はある、そしてその機会は恐らく現役として世間と積極的に関わっていく中では登竜門のように立ちふさがる問題だ。逃げることは出来ない、だからこそ知っておかなければならない、学ぶことの楽しさを理解しておく事は個人として大きな財産になるからだ。

何事も関心を持っている、今まで当たり前のように自分が知らないことを勉強するとなったら学習量が計り知れないことになる。筆者としても何も今まで平然と使っていたパソコンや携帯、テレビに電話などの原理や仕組みを一から理解しろというと、さすがにそこまでの事を強要するのは酷だろう。やはりどうしても苦手分野が出てくる、学べるのであれば学んだほうがいいかもしれないが、学ぶ当人が興味関心を持てる範囲で理数科目があるなら、トコトン追求してみるで良いと思っている。

そうなると理数において関心度を高めてもらうため、まずはマイナスイメージを何とかして払拭しなければならないという問題を解決するところから、取り組みを始めていくべきなのだろう。ただそれで給与面をあげろという現実的な問題ではなく、学ぶことの楽しさを広げるという部分で国としても解決策を見出すことを先決して行っていくべきなのかもしれない。それにはまず大人が勉強に対して積極的に関わろうとする姿勢を子供に手本を見せるというところに繋がっていくと述べられる。

過去の繁栄を呼び覚ますのではなく、新たな時代を呼び起こす

ではこうした日本の理数離れを解決する方法としては具体的にどのように取り入れていくべきなのかと考える中で、高度経済成長期のような状況になれば早いのではないかということではない。確かにその時代は文明が逞しいほどに成長していたことは認める、だが発展というものに盲目的に捉われてしまい、代償として環境破壊といった代え難いものを引き換えにしなければならなかったこと、これを念頭において科学の今後を考えていく必要がある。単純に技術が進化すれば良いというわけではない、科学とは誰のために、何のために存在しているのかを模索して、あるべき姿を追求して行く事を求める必要がある。それが理数離れを解決するための糸口にも繋がる。この時にも見失ってはいけない事は、理数離れを阻止する過程で誰のために活動するのかを考察しなければならない。

根本的な部分から見直さなければならない、それがどういうことなのかというと理数離れを何とも思っていない人が事実として存在しており、中には『理数離れだから何が悪い』と誰得とばかりの虚勢を見せる人もいるという。考え方は色々だとしてもだ、さすがに現状を鑑みて深刻な問題を抱えていることを自分には関係ないと思っている人がいるのもどうかだ。その人達からすれば理数分野で仕事をしている人間の言い訳に過ぎないと、そんな風にのたまう人もいるかもしれないがそれはそれで自分勝手な道理と取れる。確かに後進を育成しなければならないというのもあるかもしれないが、学ぶ楽しさを促進させるためには理数を含めた学問に対して興味関心を抱き、知る事の楽しさを伝える事が重要だと知っておかなければ解決へと繋がる道のりは険しい。

勉強をする事の喜びと大切さ、そして重要さを伝えていくことも大人と称する人々に課せられた責任であり、子供達の疑問に対して徹底的に話し合いの場を持つことで互いに学ぶことの成長を体感する、というのも重要だ。大人だから知っておかなければならない、知らないと恥ずかしいというわけではないにしても、子供に少しでも知性的な面をアピールしたいと考えている人はなおさら勉強は必須だ。これがゆくゆくは子供が勉強に対して好意的に捉えることが出来るかどうかにも、繋がるだろう。

家庭だけでなく、教育現場でも

子を持つ親のふれあいにおける勉強も大切なことだが、幼稚園へと進級すれば当然子供たちならではのコミュニティが形成される。そこに親として介入することもあるが、基本子供の動向に任せることになる。小学生となれば勉強も行うことになるが、従来の教育方針はいっそのこと改革するべきだ。ただ詰め込み型の勉強では何が楽しくてこんな事をしなければならないのかという不満を持たせてしまう、筆者は小学生から中学生まではしょっちゅう思っていたものだ。

教育現場で急務とされている改革案については、既に提示されているので見てみると、どれもこれもこれまでの日本の教育に対しての姿勢を根っこから変えなければならないという意味で、大いに賛同を導けるのではないかと、筆者は分析している。その内容はというと、

  • 1:算数・数学・理科の科目でも十分に学べる時間を確保する
  • 2:教育課程において、学問の基本を踏まえた系統的なものを編成して行く
  • 3:学習指導要領を必要最小限にして、豊かな教育を現場に委ねる
  • 4:内容豊で、多様な教科書の出版を推進し、検定は最低限度に留める
  • 5:豊かな教育実現のため、ゆとりある教員配置、教育環境を充実させる
  • 6:十分な自然科学の素養、専門的知識を持つ教員の育成に力を注ぐ
  • 7:現場教員の資質向上に向けて教員の継続的教育を充実させる
  • 8:現場で『あそび』を通して体験し、地域環境や家庭教育の中で補っていけるように体験の貧困化を防ぐ
  • 9:大学などの高等教育機関についても現場教育課程への対応を十分準備しておく

このようになっている。今後日本が本当に理数離れ、というよりは学習離れを防ぐためにはいかにして興味を持つことが出来る授業を編成出来るかがポイントだ。ただこれらの案件を導入すると教師の質から改革することから入らなければならない。またいかにして学ぶだけの現場から、さらに自発的に自分で調べるだけの意欲を引き出せるかにもよるだろう。基礎を十分に学びながら、どうしてそうなるのかと考えられる教育環境、理想としては大学のように自身の関心に忠実なまでに勉強できる教育機関が中学からでも導入できれば、理想的だと個人的に考えている。ともかく、解決までは相当量の困難を乗り越えていかなければならないのは言うまでもない。